ジュガでは「活殺」を追求しています。
活殺とは何か。
例えば、腕を小指方向に回すと「活」、体を活かす手の回し方になり、正しく行えば痛みを和らげたり、壊れた肩を治すことができます。
逆に腕を突き出した状態で反らすように爪の方向にひねると「殺」、腕を壊す・殺す手の回し方になり、腕が外れたり肩を壊してしまいます。
人間の体は、正しく腕を回せば壊れませんが、殺の方向に回すと簡単に痛むし、壊れる。
警察の方が犯人を確保するときに腕をひねって抑え込みますが、あれはただひねっているのではなく、犯人の腕を「殺」の方向にひねっています。
すると犯人は痛みで身動きができなくなる。
これが活殺の回転です。
人間は生まれた瞬間に死に向かっています。人間が生きるということは、「活」と「殺」が同時に並行して進んでいる状態です。
この活殺は、いわゆる生物学的な「生と死」とは違い、どちらか一方の極端なものではなく、人間の体の中では常に「活殺」両方のエネルギーがレースをして「体の人生の時間」を消費しています。
「活」と「殺」二人が並んで競走しているようなものだと思ってください。
ところが、「殺」が多い、または強くなるような行動を多くとっていると、その人の体は病気やケガをしたり、痛みが出たり、すぐに老け込んだりします。
例えば日常生活で言えば、坂道を歩くときに内股になったり、足の小指に負担をかけて歩くといった「殺」が多い行動をしている人は足を痛めたり、腰痛になってしまいます。
「殺」が多いということは、自分の体を壊しながら、殺しながら行動をしている状態だからです。
「殺」が積み上がり、やがて「活」を上回りバランスが崩れることで体を壊したり、痛むようになる。
ただし、単純に「殺」が悪いものというわけではありません。
あくまでもバランスの問題で、そもそも「活」と「殺」は一体です。
例えば首や肩が四十肩や寝違えて痛い場合、首や肩をいったん「殺」の方向に回します。
「腕や肩を壊す・殺す」の手前、直前まで腕を回し、いったん体の硬さや緊張といったものを破壊し、そのあと今度は「活」の方向に回す。
すると不思議なことに肩や腕、首はリラックス状態になって楽になる。
これは「スクラップアンドビルド」という考え方で、「殺」で体の緊張を破壊し、今度は「活」の方に腕を動かすと体は自己免疫力がつき、自己修復能力にスイッチが入ります。
このように、「殺」は「緊張や硬さを壊す」ために必要不可欠なもので、「殺」自体は決して悪いものではありません。
「活よりも殺の方が優位になった状態が長期間続く」ことが問題です。
だから体を修復する際は、まずはこれ以上「殺」にスイッチが入らない生活をし、活と殺のバランスをフラットの状態にする。
そこから一度「殺」にスイッチを傾けて緊張を壊し、その後「活」にスイッチを切り替えることで体は改善へと向かいます。
ジュガでは、このように「体を活かす」「殺さない」という「活殺の追及」を行っています。
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